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洛北 鞍馬 貴船 大原 くらま きぶね おおはら
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京都市内・左京区に位置する、鞍馬(くらま)、貴船(きぶね)、大原(おおはら)周辺の観光スポット、名所をご案内します。
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牛若丸・鞍馬天狗伝説で有名な鞍馬山の鞍馬寺
鞍馬寺 くらまでら 〒601-1111 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
秋の紅葉の季節になると、本堂付近の紅葉が最も素晴らしい鞍馬寺。春の雲珠桜(うずざくら)、冬の雪景色など、四季を通じてとても美しい鞍馬山の麓のとても歴史のあるお寺です。牛若丸の修行寺として全国的に有名なお寺です。また牛若丸に武芸を教えたとされる「鞍馬天狗伝説」も、ここのお話であり、その場所は奥の院付近といわれています。行き(上り)は是非ケーブルカーを利用下さい。帰りの下りは、是非参道山道を下るのがおすすめです。
■木の根道
霊宝殿(本堂奥)〜奥の院までの暗い原生林の道は「木の根道」と呼ばれます。伝説では、牛若丸(=遮那王)は、この木の根道で修行を行ったと伝えられています。奥の院を過ぎて、急な下り坂を経て貴船川を渡ると仁王門となります。その先にはすぐに貴船神社が見えます。
【源義経 みなもとよしつね 西暦1159年〜1189年 歴史】
源義経の官位:九郎判官、伊予守 幼名:牛若丸、遮那王
〜鞍馬寺での幽閉〜
牛若(うしわか ※後の源義経)は、幼い頃、父(義朝)、母(常盤御前)の間に生まれた「今若・乙若・牛若」のひとり。義朝の八男にあたる。平治の乱にて父(義朝)を失った後、母(常盤御前)と共に平氏(平宗清)に捕らえられる。平氏にとって将来の反乱要素となる「今若・乙若・牛若」は、常盤が清盛の妾(めかけ)となることで延命し、三兄弟別々に各地の寺に幽閉されることになります。その中で一番幼かった牛若が幽閉されたのがこの鞍馬寺です(当時6歳)。鞍馬寺で稚児となった牛若は、遮那王(しゃなおう)と命名され、僧侶となるべく10年間修行を行いました。そんな鞍馬寺での厳しい修行と並行して、鞍馬山に住む天狗「鞍馬天狗 くらまてんぐ」から、武芸を習ったというのは有名な話です。
〜奥州・平泉への逃亡から平氏滅亡〜
鞍馬山で成長した牛若丸(当時は遮那王)は、五条大橋(京都)で武蔵坊弁慶と戦った後、弁慶と共に金売吉次(商人)の手引きにより、奥州平泉の地へ逃亡する。奥州平泉はこの当時平家にも匹敵する武力「奥州十万騎」をもつ藤原秀衡氏の治める地であった。牛若の逃亡をいち早く察知した平清盛は、逃亡中の牛若一向に次々と刺客(岩剛一族、蘇龍一族)を送ったがことごとく失敗した。牛若丸(義経)は、やがて源頼朝の挙兵に応じ、治承4年(西暦1180年)の8月、初めて兄「源頼朝」と対面することとなる。頼朝の幕下となり、兄「源範頼」と共に京へ向けて出陣した源義経は征夷大将軍「木曾義仲」を討ち、宇治川・勢田の戦いの後、平氏征伐のため源範頼と一緒に更に西下し、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、元暦2年(西暦1185年)、歴史でも有名な「壇ノ浦の合戦 山口県下関市」にて、平家の水軍撃破し、平家を滅亡させる。平家500隻、源氏700隻、死者5000人以上と推定される「源平合戦」であった。
〜奥州にて自害〜
平宗盛らを連れ京に凱旋した源義経であるが、その後、源頼朝との関係が悪化し、頼朝より討伐命令を受けることになる。吉野山、多武峰、十津河などを経て、仁和寺、比叡山に潜伏する。愛人静の男子が由比ヶ浜に埋められた後、再び藤原秀衡の元(奥州)へ逃亡するが、衣川館にて藤原泰衡らの襲撃に合い、文治5年(西暦1189年) 4月30日に自害。享年31歳であった。
観光ガイド スポット詳細
| ■スポット名
| 鞍馬寺 くらまでら
| ■関連電話番号
| 075-741-2003
| ■交通 / アクセス手段
| 叡山電鉄鞍馬線鞍馬駅より徒歩5分(山門まで)、山門から本殿まで徒歩30分(ケーブル有)
| ■営業時間
| 参拝可能な時間 9:00〜16:30
| ■定休日 / 休業日
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| ■入場料 / 料金
| ■拝観料
一般 200円/名
団体 169円/名(20〜49名)
■ケーブル(鞍馬寺 山門〜本殿)
100円/名
| ■駐車場の有無 / 駐車料金
| なし
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※ 鞍馬寺 くらまでらは、 洛北 鞍馬 貴船 大原 の観光スポットです ※
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