静御前生誕の地 京丹後市網野町磯

 

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日本海トラベル特集 静御前生誕の地 京丹後市網野町磯 2005年4月22日号


静御前生誕の地 京丹後市網野町磯
2005年にNHKで放映中の大河ドラマ「義経」では、京都北部の磯地区という漁村出身の静という女性が源義経の生涯の愛妾として登場します。この特集では、これから網野町や丹後半島にご来訪される方向けに、丹後半島の観光スポットのひとつとしてこの「静御前生誕の地」「静神社」をご紹介させて頂きます。




静神社の生誕記念碑と静神社のある網野町の磯地区は、網野町浅茂川地区と浜詰/夕日ヶ浦/潮江を結ぶ細い道の脇に位置します。磯地区は昔田舎の漁村の姿を今なお残す地区です。そんな磯地区の西の外れは写真のようにお墓が点在し、その墓地と海を上から見下ろせるような高台に静神社が存在します。 静神社の場所

白拍子(しらびょうし)とは
白拍子とは平安時代末期から鎌倉時代にかけての歌舞のことである。基本的に漢詩や和歌に曲節をつけて歌う「朗詠」に舞を合わせたものとのこと。白拍子の衣装は、水干(すいかん)、立烏帽子(たてえぼし)、緋の長袴(または水干袴)、単、懐刀(または飾太刀)等を身にまとい、蝙蝠(かわほり:扇子の一種)を手に持ったとされています。

源義経とは
源義朝の末子で母は常盤。幼名は牛若。『平治の乱』で父を失い、母は平清盛に身を委ねて乳飲み児の牛若ら息子たちの助命を請う。父と慕った清盛が、実の父・義朝の敵だと知ったのは、仏門に入るべく送られた鞍馬寺でのこと。やがて平家の目を避け奥州平泉の藤原秀衡のもとで青年期を過ごし、異母兄の頼朝が挙兵するとその軍に加わる。兄の範頼とともに東国武士を率いて上洛、木曽義仲や平氏一門を追討。さらに当時の合戦の作法を度外視した戦法によって連戦連勝を収める。しかし頼朝の許可なく官位を受けたために頼朝と不仲になり、一転、“悲劇のヒーロー”となっていく。(NHK義経より)

関連リンク
NHK大河ドラマ「義経」
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
静(静御前)とは?
 源義経(幼名:牛若)が生涯を通じて愛し続けたのが静(しずか)と呼ばれる女性である。 京都北部の小さな漁村(網野町磯)より母(磯禅師)と共に上京した静は白拍子(しらびょうし)を生業(なりわい)としていたが、義経と出逢い・深く愛してしまうことで、英雄「義経」の傍らで波乱の人生へと巻き込まれていく。 NHK大河ドラマ「義経」では、この静役を「石原さとみ」が演じています。

英雄「義経」と共に歩む波乱の人生
 牛若丸として有名な源義経(幼名:牛若)との悲劇的な人生を送った静御前を祭る神社。神社は網野町の磯という地域に今でも存在する。

 網野町の磯(小さな海側の村)で禅師の娘として生を受けた静御前は、6歳で父を亡くしそのまま母とともに京都へ上京し、京の地で、巧みな舞と美しさで静は指折りの白拍子に成長する。源義経(幼名:牛若丸)に舞姿を見そめられ、側室となって男子を産む(静18歳、義経27歳の時)。源義経は、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後、兄「源頼朝」に吉野に追われ、義経と静御前の子供(男の子)は頼朝により生まれたその日に殺されてしまう(由比ヶ浜)。わが子を失った静御前は、禅尼となった母と共に、故郷の網野町・磯に戻り、生家跡に小さな庵を造り、この丹後の地から、義経の無事と愛児の冥福を生涯祈り続けたとされています。静御前は、二十余歳という若さでこの世を去った。この静神社には、静御前の木造が祀られています。

※静神社の終焉地については、全国に数多くの説があります。他にも静御前終焉の地は「郡山」などとの説がありますが、静御前が網野町・磯の出生地ということは間違いないようです。


磯地区へ続く峠道

磯の外れには静神社

神社から海を眺望

来訪の際は御記帳を

義経への想いを詠んだ静御前の恋慕の歌
 「吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき
 「しづやしづ賤のをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
※静御前は、時の権力者「源頼朝」に鎌倉に招かれ、八幡宮にて頼朝と政子夫妻の前で、上の歌を歌います。容姿端麗な静が 義経への想いを、扇立烏帽子、太刀をはき、男装で舞ったとされていることから、毎年4月、鎌倉祭りのイベントとして「鶴岡八幡宮舞殿」にて静の舞いが奉納されています。

雨乞いの神事
 寿永元年(西暦1182年)7月、京の後白河上皇が神泉苑で雨乞いの神事を行った際、白拍子として招かれた静が舞いを披露した直後に大雨となり、後白河上皇より「日本一」のお誉めの言葉を頂く。

義経の手紙
 静神社には、義経が磯豪族(惣太)にあてた手紙が残っていたという記録もありましたが、この手紙を含め多くの遺品は、天明2年(西暦1782年)の大火で神社とともに焼失しました。現在の静神社は、元の場所から西へ約200m離れた位置にあり、静御前の木像と共に祀られています。


静御前の故郷「網野町」を訪れてみませんか?
静御前活イカ姿造里プラン
静御前の着装をいか料理で表現
静神社から浜詰(西)方面に車で10分程の場所にある木津温泉(網野町)の金平楼様より、静御前にちなんだ特別プラン(日本海トラベル限定)を提供して頂きました。自慢の活イカ料理に金平楼ならではのアレンジを加え、白拍子姿の静御前を表現した春らしい料理です。

尚、静神社/生誕の地には、網野町内(網野/木津温泉/夕日ヶ浦温泉)の宿なら、車で10〜15分程度でアクセスできますので、木津温泉旅行網野の宿夕日ヶ浦温泉郷などの宿泊施設を参考にして下さい。


静御前(源義経の側室)の関連リンク

静御前生誕の地

静神社

浅茂川温泉 静の里


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